PossibilityとFeasibility、どちらも訳語は実現可能性
実現可能性ってなんだろう?
明日のTech Planグランプリというビジコンや普段の企画出しみたいなところで「実現可能性」のことを考える事が多い。とある方から「実現可能性ってどのへんまで踏み込んだものを聞かれてますか?」と問われたので、調べてみると実に定義があいまいで、なんだかわかりにくい世界でした。英語でも変わりません。なので自分なりに整理してみる。異論は認めます。
Possiblityのほうが簡単に理解できる
Possibilityのほうは、「物事が起こりうるかどうか」と辞書的には書いてあって、このままでは論考の役に立たない。
そこで、まず極端なケースを考えてみる。
Possibilityという名詞化する前はPossibleだったわけで、その反対はimpossible.
それって実現可能性あるの?と問うたときに
- タイムマシンができるか?→「無理でしょ!」
- 1輪車型のパーソナルモビリティで、体重移動で加速減速、方向を操作するといったものがつくれるか?→「できるでしょ!いくらかかるか知らないけど」
- 何処のラボでも30分の酸浴でリプログラミングした幹細胞ができるか?→「他では実現できてないでしょ!」
- ラズベリーパイの基板と、洋服を組み合わせたウェアラブルなIoT→できるでしょ
という答えがありうる。こういうのは、ポシビリティの段階を問うている質問なんだと考える。
かたや、Feasibilityとはもっと現実寄り
巷にはフィージビリティ・スタディというものがあり、それを生業にされている方も多数いると聞く。Feasibilityのほうは、もっといろんな制約条件(金銭、時間、何かの基準・規則の準拠)を課したときに、それをクリアしているかどうかというニュアンスがあるようだ。
It is possible but not feasible on business standard.(可能だけど、ビジネス的なフィージビリティは足りていない)ということは十分ありえるシチュエーションじゃないだろうか。
例えば
- 新しい発電システムは導入できるか?環境基準、行政コストや住民賛同はどうか
- パーソナルモビリティを開発し、個人向けに販売して、この工場は黒字で維持できるか
- 幹細胞をつかった再生医療は、現在の医療制度のなかでどこまで実現できるか
- IoT化した洋服を、年間15万着販売し、収益を確保することができるか
といったシチュエーションのことを思った。
ものづくりスタートアップはどちらの「実現可能性」を考えなきゃいけないか
普通はFeasibilityなんだろう。ビジネスとして成立することをクリアしていなければ、ビジネスマンがそれに関わってはいけないからだ。
自分がまったくビジネス的にはペイしなかったり、どこか基準違反だったりするような仕事にずっとかかりっきりだったら?
ゾッとする人も多いだろう。
なにより、僕がベンチャーや新企画のフィージビリティを考えるときにイラッとすることがあるとすれば、Feasibilityは、現実に存在する様々な制約条件を飲み込むことからはじまるところだ。反論は許されない。制約条件を受け入れることがフィージビリティ・スタディの出発点だからだ。
だから、もし世の中にちょっと変化をもたらしたいのなら、まずはPossibilityを考えなきゃいけないんじゃないか?と思う。
というのはPossibilityレベルで50/50のような、危ういものこそ世の中に存在せず、競合がいなかったり、いても参入障壁が築けるようなものなんだと思う。
それ無理でしょ!と100人に聞いたら98人に言われるものこそ、どでかいイノベーションの可能性がある。
特に研究者のマインドセットがある人なら、途方もない構想をどうやって実現するかに燃えるんだと思う。人工細胞、神経ネットワークの人工的再構築、量子コンピュータ、巨大並列計算アルゴリズムなど途方もないプロジェクトが研究室にはゴロゴロしている。
Possibilityのキワに目を向けることがThink Bigするためのポイント
とはいえ投資にはFeasibilityの裏付けが欲しい
だが、シチュエーションが「投資うけたいです」となった場合は、「ビジネス界に入れますか?」という制約条件を受け入れなければ仲間に入れないのは当たり前だろう。
ただのドリーマーはここで退陣しなければいけない。
既存のビジネス界に風穴をあけつつも、現実に存在する様々な制約条件をクリアする必要がある。
人員計画、設備投資計画、販売計画、商品開発計画、法規制の動向、世の中の流行etc
いろいろな影響と、どう順応するかを考えないといけない。
このへんが俗にいう「1→10」や「10→100」の領域なんだろうなーと思う。
PossibilityとFeasibility、どちらも考えられる人はいるのか
0→1の人材と、1→10、10→100は全然タイプが違うと思う。
見渡せる人間なんているのかな?
0→1人材と、1→10人材を会話させると、微妙に噛み合わないことが多い気がする。
ここにも断絶がある。スタートアップ、エンゼル、VC、機関投資家でスタンスが違う。だからポール・グラハムみたいにコンピュータサイエンスのわかるVC(シードアクセラレーター)は0→1にも理解があったのが優れていた点なんだろうなーと思う。
まとめっぽいもの
書き散らしたのでまとめます。
- ビジネスなどに先立つ「熱」を持つために、でっかいことを考えたいときはまずPossibilityが疑わしいくらいのことを考えたほうがいい。夢を膨らませることができる
- ビジネスにする、人から投資をもらう、といった場合はFeasibilityを考える必要がでてくる
- 人によってどちらの実現可能性を相手にするか、得意分野が違う
- 0→1→10→100の領域をまたいで考え、Possibilityへの挑戦とFeasibilityの挑戦を橋渡しできるコミュニケーターが必要なのでは?